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キベラ火災その後~早川千晶さんより~

12月7日に私もキベラへ行ってきました。
私が持っているだけの古着やタオルなどかき集めて持って行きました。
まだまだ物資は足りていないようです。
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●火事から6日目、12月7日の報告その①●
12月7日(日)にマゴソスクールで集会を行ないました。
前日までにオギラがマゴソスクールの生徒たちの家庭訪問を行いましたが、
火事の経験のあまりの恐怖に子どもたちはずっと泣き続けていて、沈み込んで口をつぐむ子たち、声も出なくなっている子たち、その様子をオギラが報せてくれました。
実は火事の一ヶ月前に、マゴソの近所で道路拡張のための突然の強制撤去が行われ、ブルドーザーが突然やってきて家々を潰していきました。
強制撤去の恐怖、そしてその直後にこんどは火事の恐怖、そして火事が起こった12月2日はマゴソスクールに子どもたちは全員集まっており、火が襲ってくる様子、人々が強奪に流れ込んでくる様子、そして最前線で救助活動をしていたオケッチが倒れて亡くなる場面を見ていました。
火が出てから子どもたちはすぐにリリアンの指示のもとに線路のあたりまで避難したのですが、そこから火事の様子を見ていました。
12月7日の集会前日にリリアンとオギラから連絡が入り、「あまりのトラウマに子どもたちは凍りついている。しゃべることも歌うこともできない」と言われていました。
12月7日はそれでも亡くなったオケッチの追悼式と、祈りの集会や物資の配布を行うために私は日本から名古屋キリスト教社会館からの4名と、マゴソOBOGの高校奨学基金のモロ教育基金の両角さんと一緒にマゴソに行くことにしていました。
マサヤは、子どもたちは歌えなくても、私たちがオケッチの追悼のために歌い、子どもたちのことも励まそうと話しました。
そこで私たちは朝からマゴソに向かいました。するとその後、私の友人でナイロビ在住ホンデュラス人のシンガーであるワニーさんが、とてもたくさんのお友達を連れて到着しました。アメリカ人、中国人、スペイン人、アルゼンチン人、ホンデュラス人、ケニア人、とてもたくさんの方々がマゴソを励ますためにキベラの中を歩いて来てくれました。
リリアンがみんなの前でこう言いました。どんなことがあっても、もう立ち上がれないほどに打ちのめされても、私たちはひとりじゃない。私たちを引っ張り上げてくれる力がある。私たちは強くなれる。また必ず立ち上がって前に向かって歩いていく力が私たちにはあります。だからみんなでがんばろう。
リリアンがそう話して、祈りの歌からはじまりました。するとそこに子どもたちが歌いはじめ、その歌声はどんどん大きくなっていきました。マサヤくんがタイコを叩いてくれて、トニーやロリンズがそこに加わって盛り上げました。アンティサナさんはニャティティを弾いてくれました。
そのうちお客さんもみんな立ち上がって踊りだしました。リリアンもみんなの前に踊り出ました。子どもたちも踊り出ました。みんなに笑顔が戻りました。
心のこもったスピーチをしてくれた人たちも何人もいました。アメリカ人で中国在住のマークさんは、中国の児童養護施設の子どもたちが中国語で書いてくれたお手紙と絵を持ってきてくれました。ケニアのお友達に会いたい、そのときは一緒に音楽をやりたいと書いてありました。
日本から来た皆さんは、炭坑節を踊ってくれました。そこにリリアンやオギラたちもハッピを来て加わりました。
ひとしきり歌って踊ったあと、皆さんからの善意で集まった物資をシェアし、そのあと子どもたちや避難されている方々へ食事を振る舞いました。この炊き出しは火事の日から毎日、朝、昼、晩の3食行っていて、マゴソOBOGたちが手分けして手伝ってくれています。
沈んだ気持ちを押してでもこの日こうして集会を開き、そこに皆さんがたくさんの気持ちを寄せてくださり、それによってエネルギーが上がっていく奇跡を体感しました。想いというのは伝わり合って響き合い、繋がり合って大きな力を生みます。子どもたちとリリアンたちの中に、再び命の光が灯るのが、私はひしひしと目に見えました。とても感動しました。
あとで昼食のときにリリアンは言いました。「キベラの子どもたちは強い。子どもたちのこれまでの様子を見ていて今朝まで私は、今日皆さんが来てくれても子どもたちはしゃべれないし歌えないし笑えないと思っていたけど、まさかこんなに元気に歌ったり踊ったりできるとは思わなかった!信じられない!きっとこれからも大丈夫。みんなでだんだんと、元気になっていけばいい。」本当にそう思いました。
私は、これから子どもたちにはまずは恐怖やストレスを癒すための何かリセットのきっかけが必要だなと思いました。
音楽やアート、語り合うこと、声を掛け合うこと、一緒に食べること、それは痛みを癒して勇気を出し合う力をくれます。これから何ができるか考えて話し合っていきたいと思います。
応援を届けてくださった皆様、本当にありがとうございます。
 
~報告その②~
火事の状況報告を追加します。火事初日はただただショックでしたが、6日たって周りをもう少し冷静に見れるようになりました。話も詳しく聞きましたのでご報告します。マゴソスクールで燃えたのは、図書室、コンピューター室、音楽室、倉庫、強奪のため壁を壊されて破壊され中身をすべて盗まれたのは女子寮、リリアンの家、マゴソショップ、そして、マゴソ長屋の裏にあったママアギーの家(アグネスの家)とトニーの家、マゴソ給食に野菜をサプライしてくれていたママの家も全焼でした。しかし外に出て焼け野原の上に立ってマゴソを眺めたとき、マゴソスクールが盾になってこの地域にそれ以上の火が広がるのを防いだことがわかりました。出火したと思われる長屋からマゴソまでの間の家々は、すべて全焼でしたが、マゴソスクールの壁面は燃えたものの、そこで火がそれ以上近隣に広がることを防いでいました。マゴソの中からの景色と、外からマゴソを見た外観の写真を載せますので見てください。
マゴソスクールには井戸があります。これはなぜかというと、1999年にはじめてマゴソ
長屋を買ったとき、本当にボロボロの長屋だったのでトイレはビニールで囲ってあるだけの粗末なものでした。そこで私とリリアンがはじめにやったのは、トイレの穴を掘ることでした。敷地内に穴を掘ったのですが、そこから水が出てきました。かき出してもかき出しても、翌日になると穴の上まで水が上がってきていて、しかも透明の水なのでした。私たちは最初、困ったと思ったのですが、これは仕方ないからここを井戸にすることにしたのでした。トイレは長屋の外に作りました。
しかしこの穴が、そのあとどれだけマゴソや近所の人々を助けることになったか!
今回の火事でも、この水があったからこそバケツリレーで消火することができました。それによって、近隣に火がもっと広がることを防げたこと。本当にありがたいと思いました。この穴のことを私たちは、「神様がくれた魔法の穴」と呼んできました。まさか15年たって、このように救われるとは、奇跡ですね。感謝です。

~報告その③~
亡くなったオケッチについてと、マゴソ裁縫作業所を守ったババジョセフについて。
12月7日はオケッチの葬儀のためのハランベー(カンパの会)も同時に行ないました。あらためてオケッチの最後の様子を聞き、とても驚いたことがあります。それは、オケッチは亡くなる2日前に、マゴソ作業所を前にあった場所からだいぶ離れた新校舎に移動させてくれ、それによってすべてのミシンや様々な物品が救われたということでした。
私は火事が発生した日、マゴソ作業所のミシンや物品はすべてダメになってしまったに違いないと絶望しそうになりました。ところが、この写真にあるように、ほとんどのミシンが無事(リリアンのミシンは盗まれましたが、それ以外のミシンは無事だった)、そして、材料のカンガやすでに出来上がっていた様々な商品は略奪にあって大方盗まれてしまいましたが、火事の当日も、このようにかなりそれを救ってくれた人がいました。それは作業所で働いているババジョセフでした。
オケッチは、大工や電気の職人で、さらに音楽家でもありピアノを弾き歌を歌うという天
才でした。マゴソの校舎はこれまですべてオケッチが作ってきてくれました。今年のはじめから私たちが建設を行っていた、一階が障害児の特別学級になるマゴソ新校舎は石造りの建物で、火事とは反対方向のマゴソ敷地の奥にあります。火事の2日前、オケッチはその2階の電気の配線を終え、遠く離れた位置にあるマゴソ作業所からすべての物品を運び出し、石造りの校舎のほうに移動させてくれていたそうです。それによって、私たちの大切なミシンなどの機材が救われました。これを虫の知らせというのでしょうか。
その頃、オギラの息子のあーちゃんが具合が悪くなり、病院に担ぎ込まれて手術を受けました。火事の当日の朝、オケッチは、オギラとあーちゃんを迎えに出てくれて、あーちゃんを抱っこしてオギラの家の中に運んでくれたそうです。そしてこの写真でオギラが座っている椅子に座り、朝食を食べたそうです。そのときにオケッチは冗談で、あーちゃんに、次に具合が悪くなっても、もう病院には行かなくていいよ。僕が治してあげるからね。と笑って言ったそうです。何度も何度も病院通いをしてあーちゃんは痛くて辛くて泣いていたから、優しいオケッチはきっとそう言って慰めてくれたのでしょうね。
そこからオケッチはマゴソに行きました。そして火事にあったのです。
火事の最中、オケッチは誰よりも前に出て動き回り、多くの物品と子供たちの命を守りました。そして最後は、息ができない、と言いながら、数歩歩いて、そして崩れ落ちるようにして倒れたそうです。そのまま息を引き取りました。
オケッチはいまナイロビのチロモにある遺体安置所で眠っています。12月11日(木)の朝7時に出棺、そしてそのまま田舎の村へ移動し、12月12日(金)に埋葬だということです。オケッチあなたことを生涯忘れません。守ってくれて本当にありがとう。どうか神様のもとでゆっくり休んでください。
 
~報告その④~

マゴソに避難されている方々の今後について。
この写真は、リリアンが避難者のリストを数えているところです。
火事当日、焼け出された人々が大勢、マゴソスクールの校舎内で夜を明かしました。マゴソでもマットレスや寝具などすべて盗まれてしまいましたので、何もない中、教室の床の上に思い思いに寝たそうです。その翌日、家族の家や知人友人、親類縁者などを頼れる人々は、移動して行きました。ところがそのように頼れる場所のない方々はどこにも行けず、途方に暮れてマゴソスクールに残っていました。なのでそんな人々の登録を行い、緊急支援と今後の生活の立て直しを共に行っていくことにしました。
焼け出された近所の人々の中で、リリアンが被害委員会の委員長に選出されました。火事の翌日は朝6時からリリアンはナイロビ市役所に相談に行ったそうです。ところが朝6時から午後2時まで待ち続けて、誰ひとりとして会ってくれず、最後には「こちらから連絡するので帰って待ちなさい」と言われたそうです。

政府から発表されたのは、全焼したのは178世帯、その長屋の大家は25人だということですが、これはかなり少なく見積もられているとリリアンたちは言っています。被害にあったと認定されたこの178世帯に対して100万シリング(約140万円)の義援金が出るということですが、1世帯に対して5681ケニアシリング(約8千円)という雀の涙の金額だとのことです。しかもマゴソは1世帯として数えられているそうです。(実際にはそこに非常に多くの人々が生活しているのですが。)
そのせめてもの義援金を受け取るために、リリアンは火事以降ずっとナイロビ市役所に交渉に行っているけれども、まったく何の音沙汰もないそうです。そのままうやむやにされるのではないかと懸念しています。
いずれにしても8千円ばかしのお金では、生活立て直しもどうしようもありません。他に頼れる親類縁者がいる人々はすでに移動していきましたから、残っている人たちは本当にどこにも行くところがないんです。
火事当日から避難者のための炊き出しをはじめましたが、これは長期の構えになるかもしれないので今後の体制を考えて行かねばなりません。
いまマゴソへの長期避難者として正式に登録したのは、大人49名(そのうち28名が女子)、子ども63人です。
ここには本来のマゴソファミリーの大人や子どもたちは含んでいませんので、もっともっと多くの人々が現在マゴソに住んでいます。
どのくらいの量を炊き出ししているかというと、例えば本日は、朝食と昼食に以下の食材を使いました。
米50kg, ジャガイモ20kg, 小麦粉48kg, 紅茶の葉500g, 牛乳22個、砂糖4kg、雑穀1kg。
これを毎日毎食行っていきますので、大量の食料を入手する資金源を考えねばなりません。
それと、この方々が自立していくとしても、住む家もなく、商売道具も家財道具もすべて燃えて無くしているとなると、その手立てをしなければ生活をはじめることができません。
マゴソスクールは1月の第一月曜日から新学期がはじまりますので、それまでになんとしても皆さんの生活を整えて出て行っていただかねばなりません。
そして、火事のトラウマが抜けない子どもたちが多いですから、そのための何らかの手立てをしなければいけないと思っています。
そこで今後早急に行っていくことをまとめますと、
①マゴソスクールの修理
②避難されている方々のための炊き出しと、生活立て直し
③子どもたち、親御さんたちへのカウンセリング
と、これが最も必要なことかと思っています。明日(12/9火曜日)に再びリリアンと詳しい話し合いをして方針を決めます。
尚、とても嬉しいご連絡を、ティカにお住まいの松下照美さんからいただきました。松下照美さんは、ケニアに長年お住まいになり、ストリートチルドレンのリハビリテーション、および、子供の家(モヨ・チルドレンホーム)を運営されています。私が大変尊敬している方です。
そのテルさんがご連絡くださった内容は、なんとそのモヨの子どもたちがみんなで話し合い、なけなしのお小遣いをキベラの子どもたち支援のために募金をしてくれたというのです。モヨの子どもたちはみんな、大変な人生状況からやってきた子どもたちで、元ストリートチルドレンです。すごくかわいくて私は大好きで、いつもモヨを訪問させていただくことを楽しみにしているのです。
その子どもたちがそんなふうに心配してくれたなんて、しかも貴重なお小遣いを募金してくれたなんて、嬉しすぎて感動して涙が出ました。
テルさんと子どもたちは来週にでもマゴソを訪問するようにスケジュールを調整してくださるとのことです。そして、何か手伝えることがあったら何でも手伝うと言ってくださいました。本当に心から感謝です。
いつも仲良くしてもらっているティカのアマニヤアフリカからも、スタッフのムワンギさんや訓練所の生徒さんたちが心配して訪ねてきてくれました。皆さんのお気持ちが本当にあたたかいです。
では今後どうしていったらいいのか、また皆さん相談に乗ってください!明日リリアンと話し合いをしてまたお知らせします。どうぞよろしくお願いいたします。

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